断捨離。

断捨離というと、今は流行りのことばのようだが、私は日本に帰国する際に、たぶん持っている物の80%位を処分してきたような気がする。

 

家を売るためには家具は全て処分しなければならなかったので、これは結構大変だった。

ネットで売ることももちろんできるが、これは意外と時間がかかる。

リビングにあったソファ、テーブル、大型液晶テレビ、家具、ダイニングテーブルと椅子、IKEAの本棚(一番背の高くて扉付き)4つ、電子ピアノ。

テレビは下見に来た引越し屋さんが「これは持っていかないの?」と聞いたほどだ。

コンセントがね、違うのよ。電圧が。

電化製品持って帰れないの。

掃除を手伝ってくれたルンバちゃんもさよならよ。

 

主寝室にあったキングサイズベッド(引出収納付き)、壁掛け鏡とその下に置く家具。

息子の部屋にあったシングルベッド(跳ね上げ式収納付き)、IKEAの本棚(扉付き)2つ、これまたIKEAの大きな勉強机と椅子。

もう一つの部屋にあった息子と同じシングルベッド。

この部屋にあった仕事用の机と椅子。

 

玄関に入ったところにあった、鍵やバッグをかけることができる壁掛け用鏡。

 

洗濯機、乾燥機、1年も経っていない冷蔵庫。

 

これら全て、知り合いに譲った。

現地に住む日本人やスペイン人の友達。

そうそう、古かったけど私の車も。

車は毎日出勤するために乗っていたし、私の日々の気持ちを一番よく知っている友人のような存在なので、手放すのは本当につらかった。

抱きしめられるものなら抱きしめたいほどだった。

 

でもどの家具も知っている人たちの家に収まってくれて、なんかそれはとても嬉しかった。

きっと家具たちも喜んでいることだろう。

車も、古かったがちゃんとメンテナンスに持って行っていたので、今でもしっかり働いてくれているらしく、その話しを聞くとそれまた嬉しい。

 

洋服もものすごい量を処分した。

捨てたのではなく、困っている人たち用のお店があって、そこに全て持って行った。

そこに話しを聞きに行った時に

「なんでも持ってきていいわよ。夫以外はね」

と言われたが、私が一番最初に捨てたいのは夫だった(苦笑)。

 

靴もバッグもかなり処分した。

 

洋服は日本にたくさん売っているし、服っていつでも断捨離できるぐらい、要らない服をため込んでいるものだ。

ただやはり思い入れの大きなものを処分するのはしんどかった。

 

なにが大変って、「思い出の品」以上に大変なものはない。

 

息子の思い出の品。

とっておいてもどうしようもないものだけど、日本への引越し荷物に入れて日本の狭い住宅においておける余裕はなさそうだ。

引越し荷物は最低限にしておかないと、国際引越しだ。

あっという間にすごい値段に跳ね上がってしまう。

 

今までもどちらかというと、定期的に処分してきたので、厳選されたものだけが残っていたのだが、ここからもまた厳選しなければならなかった。

息子が保管してもよさそうなものマドリ(マドリード)に住む息子に送った。

山のような漫画本もその一つだ。

ただ、その中でも息子が「まだ捨てたくない。でもマドリには要らない」というものがあって、それだけはしょうがないので引越し荷物に入れてあげた。

こんなことになってしまったうしろめたさのようなものがあった。

だって、息子にとっては実家がなくなるんだよ。

生まれた時にいた家ではないので、「生まれ育った家」ではないけれど、息子が生まれ育った土地に母親がいなくなってしまうのだ。

それも隣町とかではなく、遠い日本に行ってしまうのだ。

自分に置き換えて考えた時に、やはり胸がギュギュっと痛くなる。

ごめんね。

 

でも断捨離は本当に簡単ではない。

引出しを開けて、その中にあるものを見て、3分ぐらい眺めて、またそのままスーッとその引出しを何回閉めたことか・・・。

 

やり始めればどんどん行く。

しかしまたぶち当たるのだ。

開けて眺めて閉める引出しに・・・。

 

泣いてなんかいられない。

どうしようか悩んだ時はそこは少しの間保留にする。

他の引出しにチャレンジする。

 

胸はざわざわするし、テンションは落ちる。

でもこれをやらないと私はここを出られない。

最後に勢いでわ~っと捨てることになるのは避けたかった。

 

たくさん持っていたお菓子作りの型も、もうこんなに作らないかな、と思って処分した。

この中には亡くなった祖母のものもあったが、「おばあちゃま、ごめんね」と言いながら処分することにした。

祖母はきっとわかってくれていると思う。

 

使っていたフライパン、お鍋類も処分した。

 

中学生の頃、歌謡曲が流行っていたので、FMラジオから録音していた。

日曜日の朝9時に始まったその番組は、その週の歌謡曲のベスト10を10位から順番に放送していた。

この番組は、題名と歌手名を歌が始まる前に言ってくれるので、そこから録音スイッチを入れることができてお気に入りだった。

カセットテープに録音して、何回も何回も聞いた。

45分とか60分のテープに10本以上持っていて、今のようにYou tube なんてなかった時代なので、家でも車の中でもかけて、よく聞いて歌っていた。

昔のカセットテープは本当によくできていて、他にもLPとかを録音したテープがたくさんあったけれど、ダメになったのは2本ぐらいだったと思う。

 

でもこれも処分した。

カセットテープはもう日本では使えない部類に入る。

聞こうと思えばYou tubeで聴ける。

・・・じゃなくて、捨てたくない。

捨てたくないんだけど・・・捨てた・・・。

捨てたと言いたくない。

処分した。

ごめんね、ありがとう。

 

この言葉を私は何百回繰り返しただろう。

 

全ての処分した物達につぶやいた。

 

アルバムも息子のものは持って帰ってきたが、他のものは処分した。

これもその決断を下すまでには時間がかかった。

楽しかった思い出がアルバムにはたくさんあるのだ。

私の歴史でもあるのだ。

家族の歴史なのだ。

でも、処分した。

息子のアルバムがあれば、それは垣間見ることができる。

そして何より、良い思い出は私の中に在る。

楽しかった時間は嘘ではない。

最後は残念なことになったけれど、あの楽しかった時間は本当なんだ。

 

結局引越し荷物は、半分が息子の漫画というくらい、私のものは処分できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京2020ボランティア。選手専用プラザ。

選手村内にちょっとした買い物ができる場所がある。

全国から送ってもらったという材木を組み合わせて作った、選手の居住棟から比べるとちょっと異空間のような場所がある。

東京2020のお土産物を売っているお店や、コンビニ、美容院、クリニック、郵便局、写真屋、携帯ショップなどがあった。

 

ここはボランティアは入ってはいけないことになっているのだが、時々選手や団長に頼まれて一緒にお店に入ることがある。

店内にはこのエリア担当のボランティアがいて、関係者が入っていないかチェックをしている。

ちょっとお土産を見ているとすぐに近寄ってきて、どうしてここにいるのか質問される。

「団長と一緒です」とか言うと立ち去っていく。

 

コンビニにはいろいろあったようだが、選手団からは不評だった。

ボディーシャンプーがなくなったので買いたいが、コンビニには小さなものしかない。

外には出ていけないので、結局多くのボランティア達が、村外に行き買って持って入っていた。

これは、日用品に限らず、陸上選手のシューズが破れてしまったので同じものが欲しいとか、本当に様々な場面で「コロナのために外に出られない」ことが大きく影響した。

 

開村時、ネットを使っての購入は許可されていなかったが、あっという間に許可された。

オリンピック選手村あてにネットで商品も買い、選手村に届いた荷物を分けてその国の居住棟まで持ってきてくれる。

商品をネット購入したら、すぐにLogisticsという部署に届け出なければならない。

いつ頃、どんなものが届くのか申請しておかないといけないのだ。

ネット購入する時は、オリンピック選手村の住所と国名を入れないと届かない。

どのくらいの荷物が届いていたかはわからないが、たぶん相当数あったと思う。

 

そのうち、あっという間にUber Eats も広がり、その受け渡しが選手村の正面にある建物になり、外に出られない選手に替わってボランティアが行くことになる。

 

特に多かったのが、「誕生日をお祝いしたいのでケーキを注文したい」だった。

 

私もパラリンピックの時に、誕生日ケーキを取りに行ったことがある。

選手が注文して本当にあっという間に指定の建物に届いた。

しかし、「取りに行く」と簡単に言うが、選手村は広いのだ。

そして炎天下だ。

パラリンピックの時に担当していた国の居住棟は、一番奥だったので、そこから歩いて一番端の選手村出入口まで行き、それからその指定の建物まで行き、品物を受け取り、またその道を帰っていくのである。

オリンピックの時は、これが短縮できる「プラザ抜け」ができたのだが、パラリンピックから、ボランティアはこのエリアに立ち入ることもできなくなってしまったのだ。

オリンピックの時に、自分たちの買い物をしてしまったり、帯同していないのに入った人たちがいたようで、パラリンピックは通り抜けさえできなくなってしまったのだ。

 

村内を走るオートバスがあるのだが、これも選手たちと一緒でないと乗ることはできない。

 

往復30~40分かけて、そのケーキを届ける。

 

選手村の本当に本当にあり得ない作りだった。

殆どのボランティアが毎日2万歩位歩いていたと思う。

私は最高で26000歩だった。

平均15000歩。

 

プラザ内の美容院は、選手は無料でカットしてもらえる。

ネイルもやってたし、なんかすごいハイテンションで客寄せをしていた。

 

写真屋さんでは、有料で選手たちの写真撮影をしていた。

 

まあ、コロナで外出禁止になるなんてことは想定していなかったからしょうがないけれど、もう少し日用品が並ぶお店があったらよかったのかもしれない。

 

選手村の近くにはコンビニもある。

 

選手は外に買いに出ていなかったのか。

 

出ていた。

 

オリンピック後半は特に出ていた。

多分、もう自分の試合が終わってしまった人は、「出場停止」になることはもうないので安心していたのかも。

居住棟にたくさんのビールの缶が捨てられていたし。

選手村は入るのには厳重なチェックがあるけれど、出るのには全くチェックをしない。

 

帽子をかぶってマスクをしていれば、誰が出ていくのかわからない。

門にはガードマンがいるけれど、本人チェックも鞄の中身もチェックしないのだからおかしな話しだ。

 

外に出た選手は競技会場から帰ってきた時と同じように選手村に入村できる。

 

まさしく「ざる」だった。

 

 

最近あったちょっといいこと

今週のお題「最近あったちょっといいこと」

 

ニコタマライズに行ったんだ。

小さなリュックしょってて、なんだか忘れたけど買い物した。

 

その後、エスカレーターで降りていた時、突然後ろから「トントン」と肩をたたかれた。

 

振り向くと小さな女の子を抱っこした男の人が、

「あの、後ろリュック、全開ですよ。なんか、ぱかーんって開いちゃってるんで」

 

見ると、リュックのファスナーが本当にぱっかーんと開いていた。

そのまま手を突っ込めば、お財布も何もかも取れる状態。

 

「うわ、ありがとうございます!」

と言って急いで閉めた。

 

こういう時、割と何も言わない人が多いような気がする。

忘れちゃったんだろうな~と思いながら特に声はかけない。

 

でもその人は教えてくれた。

ありがとう~~~!

 

その2~3日後、自由が丘の東急を歩いていたら、ご高齢の女の人がリュックをしょっていて、やっぱりぱかーんと開いていた。

私は迷うことなく、その方に、

「リュックの口、開いてますよ。危ないですよ」

 

と教えてあげた。

 

いただいた親切を誰かに返すことができた。

 

なんとなく声をかけない。

なんとなくスルーしてしまうことの多い昨今だが、やはり声をかけていこうと思わされた「最近あったちょっといいこと」だった。

 

東京2020ボランティア。選手村まで。

初めてオリンピック研修が選手村で行われた日、勝どきの駅について驚いた。

すんごい人。

私は勝手に、勝どきの駅は何もなくて、駅から選手村まで何もない道を歩いていくのだと思っていた。

選手村にできたマンションは、何もまだできていない場所にできたものでこれから駅周辺やマンション周辺ができあがっていくのだと、勝手に想像していたのだ。

 

ところが、勝どきの駅ではかなりの人が降りた。

そして、駅からの階段を上がると、

「うひゃー」と驚くほど開けていた。

 

なんだ、普通の町じゃん。

 

そして、大勢の人が歩いていく。

 

駅からはきっと選手村までの道案内が各所に貼ってあるのではないかと思った。

もしくはボランティアが立っていて案内しているとか・・・

なぜなら、都庁で行われたボランティアのコロナワクチン接種の時には、都庁前の駅を降りたら、2メートル間隔ぐらいで案内表示が出ていたからだ。

「ま~なんて親切。迷いようがないわね」

と思っていた。

 

しかし、勝どきの駅からは全くなかった。

ボランティアも立っていなかった。

案内表示があるだろうと思っていた私は、グーグルマップで選手村を検索していなかった。

急いで検索してそれに従って歩いた。

 

歩道は広く、自転車の後ろに子供を乗せた母親とか、駅へ向かう人などがたくさん歩いていた。

 

この日私は結局道に迷った末に、何とか選手村に到着したのだが、勝どきの駅からはかなり遠い。

15分弱位?

けれど、朝はとにかく真正面から太陽が照り付けてまぶしくて暑い。

選手村に着く前に汗をかいてしまうので、なるべくゆっくり歩いて行ったほどだ。

 

途中公園があるのだが、3日目ほどで、「オリンピック関係者の通り抜け禁止」となっていた。

 

つまり、勝どきの住民からは選手村は歓迎されていなかったのだ。

 

選手村のボランティアは勝どきから選手村までは右側通行で、なおかつ携帯などを見ながら歩いて歩行者の迷惑にならないようにしてくださいと通達があった。

テレテレ歩いていて住民に迷惑かけないでね、ということらしい。

 

公園も公園のトイレで着替える人がいたのか、通り抜け禁止になった。

オリンピックが始まったころは反対ムードが強く、ボランティアのユニホームを着て電車に乗るのが憚られたのだ。

多くの人が上に違うシャツを着たり、勝どきに着いてから着替えたりしていたようだ。

 

1週間ぐらい経ってから、途中のコンビニも、外に置いているゴミ箱が閉鎖された。

「オリンピック期間中はゴミ箱を使用できません」

ボランティアがたくさんゴミを捨てていたのだろうか・・・?

 

なんか電車内でもユニホームが目立って、消えてしまいたいような気持だったのに、勝どきの駅ではさらに拍車がかかって、「来ないでよ」ムードがもりもりだ。

 

身体を小さくして家から選手村まで行かなければならないような雰囲気だった。

 

そうそう、東京2020から説明のあった、通りの右側というのは、歩道の右側(右半分)というのではなかったようだ。

確かに歩道の上には、右側通行でお願いしますという標識があったが、これはボランティア向けに設置されたものではないことはすぐにわかった。

通りを挟んで左側には晴海トリトンがあり、そこに勤務する人たち用の「動く歩道」があったのだ。

なんと屋根付き。

「うわ~いいじゃん、あれ~。あっち側歩こうかな」と思った瞬間に気づいた。

東京2020が説明した言葉「通りの右側を歩いてください」。

 

そうか、歩道の右半分を歩いてね、ではなくて、通りの右側つまり動く歩道は使って来ないでね、という意味だったのだ。

 

まあ、その歩道を使うためには、横断歩道を渡って左側に行き、その後また横断歩道を渡って通りの右側に戻らなければならないのでちょっと面倒くさい。

あの周辺大通りだから、信号長くてそれ2つ渡ってくるのはな~ちょっと面倒くさいよな~。

 

まあ、そんなこんなで、勝どきから汗をかきかき、人に迷惑にならないように選手村まで歩いたのだ。

 

選手村の入り口が見えてくるあたりになると雰囲気は変わる。

 

警察官やセキュリティーがたくさんいるので、その人たちが挨拶してくれる。

 

東京2020には日本全国から警察官が集められたようで、選手村周辺には「大阪県警」と胸につけた警察官がたくさんいた。

他の競技会場では「鳥取県警」もいたなあ。

 

警察官から「ご苦労様です」と声をかけられるのは何となく嬉しい。

 

ここまで来てやっと、前を向いて歩ける。

そんな感じだった。

 

苦手なこと。空腹+待機。

お腹がすいているだけなら比較的精神的均衡を保てる。

しかしこれに、「待機」つまり、誰かを待つとか、何かを待つ、という状態が加わると、この均衡が保たれなくなってくる。

 

食事の時間に、用意ができているのに帰ってこないから待つ、という状態や、ごはん食べに行って、まだ来ていない人がいるので待とう、とかいう状況が嫌だ。

 

昨日も健康診断で、朝食抜きで10時に病院だったんだけど、もう「なぜ朝食抜きなのに10時?!」とそもそもここから理解できない。

健康診断はあっという間に済んだんだけど、そのあと先生の問診があるのでそれを待たなければならなかった。

10時10分ごろ終わった健康診断が先生の問診が始まったのは10時50分だった。

朝食抜いている患者さんは先にやってよ、とかこれだけ時間があるなら言ってくれれば近くのコンビニでなんか食べられたのに、とか頭の中でぐるぐるしている。

 

空腹+待機状態というのは、私の精神衛生上本当に良くない。

制御不可能状態になる。

 

やっと呼ばれて診察室に入って、先生が「どうだった?」とか話してくれたんだけど、「先生、すみません。おなかがすいて倒れそうなので」と言ったら、

「あ~ごめんね、そうだよね。」

と言って急いで胸に聴診器をあててくれた。

 

せっかく話しかけてくださった先生に失礼だったなあと思ったので、ちょっといろいろ体の事とか、この間受けたインフルエンザの副反応がひどかった話しとかしたんだけど、頭の片隅では、この後コンビニで何買って食べようか考えている。

 

もしかしたら、空腹+待機+無言が最悪パターンなのかもしれないと、今書きながら思っている。

 

先生と話しているとちょっと紛れていたので・・・。

 

このあと、もちろんコンビニでパンとあったかいコーヒーを買って、そこで食べた。

昼食に近い時間だったけど、家まで待てなかった。

だって、お米買って帰りたかったし。

このまま何も食べずにお米買って帰ったら、お米抱えたまま行き倒れになりそうだったから。

 

スペインに住んでいた時も、皆で集まって一品持ち寄りのお昼をしたことがあったけれど、「○○さんがまだだからもうちょっと待とうか」となると、とたんに制御不能になる。

「え~食べて待ってようよ」と言いたい。

しょうがないので、ポテチとかつまんでも大丈夫そうなものをつまんで耐える。

 

皆、本当に寛容だな~と思う。

 

 

理想の生活ルーティン

理想の生活ルーティン。

 

朝目覚まし時計なしで起きる。

大体いつも7時前後に起きているので、その感じ。

パンとコーヒーだけの簡素な朝食を摂り、洗濯物を干したり、軽い掃除をしたりと、まずとりあえずやらなければならないことをする。

 

この時間がとても幸せ。

お天気のいい日に洗濯物を干している時って、すごく幸せ。

今の時代は洗濯機が洗濯をしてくれるので、やる仕事は干すだけ。

昔の人は手で全部洗っていたわけだから、本当に大変な仕事だっただろうなあ。

 

それからパソコンを立ち上げてちょっといろいろ見る。

 

気をつけていないとあっという間に1時間以上経ってしまうので、注意する。

 

ゆっくりてくてく買い物に行く。

今住んでいるところは、銀杏並木がとてもきれいなので、いちょうの葉っぱの色や落ち加減で季節の移り変わりが感じられてとても好きだ。

 

ゆっくりいろいろ見て買い物を済ませる。

スーパーが大好きなので、関係のない棚も見て回る。

食品コーナーも日用雑貨コーナーも大好きだ。

「あ、こんなものがあるんだ」とか「今度これ試してみようかな」とか実はあんまりいろいろ買うわけではないけれど、そう考えながら見ているのが楽しい。

 

買い物が終わったら、またてくてくゆっくり帰る。

 

簡単なお昼ご飯を用意して、ちょっと休憩したら出かける。

 

出かけるのは、もし仕事ならあんまり責任の重くない仕事。

一生懸命やらなくても私のまんまで動いてできる仕事。

できれば週3日ぐらいがいいかなあ。

 

5時過ぎには家に帰っていたい。

夕食の準備をゆっくりしたい。

 

できれば6時半ごろには夕食にして、食べ終わったら全部片づけて、ゆっくりソファでくつろぎたい。

 

そしてゆっくりお風呂に入って、寝るモードに入っていく。

 

11時頃にはベッドに入って、ちょっと本を読んだりYou tube を観たり。

 

時々一日かけて違う街にも行ってみたい。

泊りがけじゃなくていい。

朝出て夕方帰れるぐらいの場所でいい。

そうね、一週間に一度くらい。

 

ふらりのんびり、歩いてみたい。

 

一年に二回くらい、息子に会いにスペインに行きたい。

多分ずっとスペイン・・・かな。

違う土地に住んでいれば、そこに行く。

 

息子がいる国に行くのはいいけれど、いない国に観光で行く気持ちは全くない。

飛行機はどっちかというと飽きてしまったので、息子に会うために乗るのはいいけれど、それ以外ではできれば乗りたくない。

 

ビジネスクラスかプレエコぐらいで飛ぶ。

 

ネットでチケットが買えるようになってから、いろいろな航空会社のページで、一時帰国用のチケットを探していたおかげで、かなり詳しく、そしてそれをするのが楽しかった。

座席の予約も大好きだ。

どこがおすすめかとかも結構わかってきて、この経験は仕事でも使えた。

日本から出張で来る人の帰りのフライトを変更してあげたり、座席を予約してあげたり、アップグレードもしてあげた。

フライト変更も、乗継地の時間や場所なども考慮してなるべく楽に帰れるように配慮した。

いや~あれは楽しかった。

 

 

 

そんな感じで、ゆっくり過ごしたい。

 

10年後、私はまだ生きていて、今と同じ気持ちでいるのかとても興味がある。

 

 

今の気持ち。今の本当の気持ち。

今の気持ちは、わかっているようで実はわかっていないことが多い。

 

本当に今感じている気持ちがわかるのは、もっと後だ。

 

何か月後の時もあるし、何年か後のこともある。

 

あの時楽しかったと思っていたけど、本当はちょっと苦しかったな、とか。

 

あの時、普通に生活していたつもりだったけど、今考えるとそうでもなかったな、とか。

 

自分の気持ちを見て見ないふりをする時もあるし、感じないようにスルーしている時もあるような気がする。

 

私は、自分の気持ちがぶれないように生活している。

大きく上がりもしないけれど、大きく下がりもしない。

そんな感じ。

「やった~!」という感情も特になく、「ああ、もうだめだ・・・」という感情も。

 

震度計で言えば、針が小さく揺れ進むだけ。

 

でも、それを保とうとしているということは、もしかしたら私はまだギリギリのところにいるのかもしれない。

私は今落ち着いていると思っているんだけど。

 

 

今の気持ちが本当にわかるのは、何年後だろう。