東京2020ボランティア。選手村まで。

初めてオリンピック研修が選手村で行われた日、勝どきの駅について驚いた。

すんごい人。

私は勝手に、勝どきの駅は何もなくて、駅から選手村まで何もない道を歩いていくのだと思っていた。

選手村にできたマンションは、何もまだできていない場所にできたものでこれから駅周辺やマンション周辺ができあがっていくのだと、勝手に想像していたのだ。

 

ところが、勝どきの駅ではかなりの人が降りた。

そして、駅からの階段を上がると、

「うひゃー」と驚くほど開けていた。

 

なんだ、普通の町じゃん。

 

そして、大勢の人が歩いていく。

 

駅からはきっと選手村までの道案内が各所に貼ってあるのではないかと思った。

もしくはボランティアが立っていて案内しているとか・・・

なぜなら、都庁で行われたボランティアのコロナワクチン接種の時には、都庁前の駅を降りたら、2メートル間隔ぐらいで案内表示が出ていたからだ。

「ま~なんて親切。迷いようがないわね」

と思っていた。

 

しかし、勝どきの駅からは全くなかった。

ボランティアも立っていなかった。

案内表示があるだろうと思っていた私は、グーグルマップで選手村を検索していなかった。

急いで検索してそれに従って歩いた。

 

歩道は広く、自転車の後ろに子供を乗せた母親とか、駅へ向かう人などがたくさん歩いていた。

 

この日私は結局道に迷った末に、何とか選手村に到着したのだが、勝どきの駅からはかなり遠い。

15分弱位?

けれど、朝はとにかく真正面から太陽が照り付けてまぶしくて暑い。

選手村に着く前に汗をかいてしまうので、なるべくゆっくり歩いて行ったほどだ。

 

途中公園があるのだが、3日目ほどで、「オリンピック関係者の通り抜け禁止」となっていた。

 

つまり、勝どきの住民からは選手村は歓迎されていなかったのだ。

 

選手村のボランティアは勝どきから選手村までは右側通行で、なおかつ携帯などを見ながら歩いて歩行者の迷惑にならないようにしてくださいと通達があった。

テレテレ歩いていて住民に迷惑かけないでね、ということらしい。

 

公園も公園のトイレで着替える人がいたのか、通り抜け禁止になった。

オリンピックが始まったころは反対ムードが強く、ボランティアのユニホームを着て電車に乗るのが憚られたのだ。

多くの人が上に違うシャツを着たり、勝どきに着いてから着替えたりしていたようだ。

 

1週間ぐらい経ってから、途中のコンビニも、外に置いているゴミ箱が閉鎖された。

「オリンピック期間中はゴミ箱を使用できません」

ボランティアがたくさんゴミを捨てていたのだろうか・・・?

 

なんか電車内でもユニホームが目立って、消えてしまいたいような気持だったのに、勝どきの駅ではさらに拍車がかかって、「来ないでよ」ムードがもりもりだ。

 

身体を小さくして家から選手村まで行かなければならないような雰囲気だった。

 

そうそう、東京2020から説明のあった、通りの右側というのは、歩道の右側(右半分)というのではなかったようだ。

確かに歩道の上には、右側通行でお願いしますという標識があったが、これはボランティア向けに設置されたものではないことはすぐにわかった。

通りを挟んで左側には晴海トリトンがあり、そこに勤務する人たち用の「動く歩道」があったのだ。

なんと屋根付き。

「うわ~いいじゃん、あれ~。あっち側歩こうかな」と思った瞬間に気づいた。

東京2020が説明した言葉「通りの右側を歩いてください」。

 

そうか、歩道の右半分を歩いてね、ではなくて、通りの右側つまり動く歩道は使って来ないでね、という意味だったのだ。

 

まあ、その歩道を使うためには、横断歩道を渡って左側に行き、その後また横断歩道を渡って通りの右側に戻らなければならないのでちょっと面倒くさい。

あの周辺大通りだから、信号長くてそれ2つ渡ってくるのはな~ちょっと面倒くさいよな~。

 

まあ、そんなこんなで、勝どきから汗をかきかき、人に迷惑にならないように選手村まで歩いたのだ。

 

選手村の入り口が見えてくるあたりになると雰囲気は変わる。

 

警察官やセキュリティーがたくさんいるので、その人たちが挨拶してくれる。

 

東京2020には日本全国から警察官が集められたようで、選手村周辺には「大阪県警」と胸につけた警察官がたくさんいた。

他の競技会場では「鳥取県警」もいたなあ。

 

警察官から「ご苦労様です」と声をかけられるのは何となく嬉しい。

 

ここまで来てやっと、前を向いて歩ける。

そんな感じだった。