東京2020ボランティア。実際のところ。
東京2020のボランティアは、なぜか名前がフィールドキャストという名前を使われていた。
ボランティアという言葉をもっと素敵にしたかったらしいが、ニュースでも選手達からも「ボランティア」だったので、名前を変えた意味はあったのだろうかと思う。
説明会などでも「フィールドキャストの皆さんは・・・」などと説明されていたので、その名前で通るのかと思っていたら、実際オリンピックが始まってみたら、皆が「ボランティアさん」と呼ぶ。
やっぱり結局ボランティアじゃん。
しかし、このたかがボランティアさんたちに、東京2020はびっくりするほどのお金を使っている。
最初の説明会の時に渡された冊子というか、もう本に近い「フィールドキャストハンドブック」。
オリンピックの歴史から、ボランティアの役割、障害者への配慮の仕方等々全182ページにわたって前頁カラー写真入りで説明されている。
確かこれと一緒に何か他にももらっていたような気がする。
不織布みたいなエコバッグ(当然青色東京2020のロゴ入り)に入っていた。
この後も研修の度にスケジュール帳、フィールドキャストポケットガイド(常に持ち歩けるように小さいサイズ)、細か~~~い字でたくさんいろいろ書いてあるアシスタントマニュアル(これは選手村の選手団につく私達アシスタントに配属された人だけらしい)などなど、一人のボランティアに配布されたものは、ユニフォームももちろんの事、本当にたくさんのものがあった。
すごいな~、こんなにしっかり準備しているんだな~、さすが日本だな~と思った。
なので、オリンピックが始まるまではとても安心していた。
しかし、実際始まってみるとそうではなかった。
少なくとも、選手村で選手団のアシスタントとして配属された私達は本当に大変だった。
例えて言えば、とても立派な家ができているとする。
外観は素晴らしく、中はバリアフリーですよ~、全て携帯で管理できますよ~、中に必要なものは全部そろっていますよ~、でも何かあったらすぐに管理人に問い合わせてくださいね~と言われてその家に入る。
キッチンもリビングも全て家具はそろっている。
しかし、いざ生活しようとすると、「あれ?フォークはどこだ?」「電気をつけるスイッチはどこだ?」「トイレットペーパーはどこだ?」。
全ての扉を一つ一つ開けていかないと、それらは出てこない。
フォークが台所の引出しにないという感じだ。
そして、すぐに管理人さんに電話をしてみる。
・・・つながらない。
なぜなら皆がその人に電話しているからだ。
しょうがないので、その人がいるところに出向く。
しかし、そこにいるのは当の管理人ではなく、やはりボランティアだ。
初めてその場所に配属されたボランティアだ。
何もわからない。
しょうがないので、アシスタントに配属されたボランティア同士で、もらった携帯のLINEを使って聞いてみる。
「ね~、だれかフォークがある場所知ってる?」
すると誰かが答えてくれる。
「○○の2番目の引出しだよ~」
「ね~、電気つかないんだけど誰に電話すればいいの?」
また誰かが答えてくれる。
「この電話番号だよ~」
こんな具合に、たくさんのハンドブックやらマニュアル本などをいただいたが、肝心の事は殆ど書いていなかった。
携帯にはLine Worksが入っていたが、これがなかったら私達選手団配属のボランティアはたぶん何もできなかったのではないかと思う。
「選手団から要請があったらタクシーを呼んでもかまいません。選手団にはその人数によって各国専用の車が用意されています。ボランティアは運転はできませんが、要請があれば帯同できます」
そう書いてあったが、実際には呼ぶタクシー会社は決まっていて、呼び方もちゃんとその方法があったのだ。
ボランティアの誰もタクシー会社の電話番号は教えてもらえていなかった。
また、その各国に用意された車の予約もマニュアルにはまるで私たちは何もする必要はなく、ただ要請されれば乗ればいい、くらいだったのに、実際は予約の電話をし、電話がかからないのではるか彼方にあるドライバーさんのいるところまで炎天下歩いていかなければならなかったり、とにかく本当に大変だった。
ボランティアの多くは高齢者だったので、どこまでこのLine Worksが活用できたのかはわからない。
日本という国は、物事を整えていく力、スムーズに進める工夫をする力はどの国よりもあると思うので、オリンピックがもう少し長ければきっと全てがスムーズに動いたのではないかと思う。
選手村では少なくとも、最初のオリンピックの時はあたふたしたし、選手団からも「日本はきっちりしていると思ったけどそうじゃないんだね。」とも言われた。
私から見ても「ここは日本じゃない」と思われるようなことが多々あった。
やっと皆が少し慣れかけた2週間目頃、オリンピックは閉会式を迎えた。
私はパラリンピックも参加したので、わかりやすかったが、パラリンピックから参加する人たちもいたし、ボランティアの数は目で見てわかるほど、パラリンピックでは減っていた。
そんなあたふたした経験も、皆で情報を交換しあって助け合ったことも、今となってはまるで昔の出来事のように思える。
やってよかったか・・・?
間違いなく、やってよかった。