東京マラソン2021。コース間違い。

あ~まただ。

 

東京マラソンのコース間違いした白バイの非難。

 

どうしてこうなってしまったのかは、次起こらないようにするために検証は必要だけれども、ミスをした人をたたくのはもうやめてほしい。

 

「許すべきではない」

「日本の恥だ」

 

という声が聞こえているがそんなことはない。

 

「運営自体が悪い」

 

それも違う。

 

多分きっと皆が一生懸命準備したはずだ。

ミスがないようにやってきたはずだ。

 

それでもミスが出てしまうのは、もうこれは仕方がない。

 

確かにランナーは、この日のために私たちの想像を超えた練習をしてきているはずだ。

1秒、0.1秒が競われる世界だ。

それが損なわれるようなミスはあってはならないかもしれない。

そのための準備をしているのだ。

 

でもそれでもミスが出てしまうのはしょうがない。

 

ランナーは「もう日本では走らない」とはきっと言わないと思う。

 

生きていると理不尽なことが起こる。

どう考えても納得できないことも起こる。

 

でもそれを誰かのせいにしたり、じぶんのせいにしたりしていてもしょうがない。

 

十分に準備をしても起きてしまったことは、あきらめよう。

 

そう思えるまで時間がかかるかもしれないけれど、とりあえずは、そこを通過点としよう。

 

ミスがまた起こらないように考えるのは関係者たちだ。

 

観戦している私達は静かに見守ろう。

 

誰かを非難しても、誰かを攻撃しても、そこから生まれるものは少ないと思う。

 

落ち着こう、日本。

好きなこと。朝の洗濯。

多分、洗濯が好きだ。

 

以前、友人が彼女の母親の話しをしていて、「うちのママ、洗濯が好きみたいで」という話しをしていた。

その時、「へ~。洗濯が好き・・・?」って、その感覚がわからなかったんだけど、実際自分を振りかえってみると、

「あ~、私洗濯好きな方かも」と初めて思った。

 

忙しかった3年前ぐらいまでは洗濯は家事の一部で好きとか嫌いとか考えることの範疇に入っていなかった。

やらなければならないのでやる。以上。

 

でも、洗濯物を干すのが嫌だなーとか、洗濯物を取り込むのが嫌だなーとか思ったことはない。

むしろ、洗濯物を干すのは好きな方かもしれなかった。

 

なんかこだわりがある。

私はハンガーにかけて干していきたいタイプなので、洗濯ばさみにはさんで干すものは下着類、靴下類だけで基本シャツ類はハンガーに通して干す。

このハンガーにも種類があって、細いハンガーにかけるものは、ハンガーの肩の後が残ってもいいような家で着るものかインナーだ。

それ以外は肩の部分が厚く丸みを帯びているハンガーにかける。

 

干す間隔や干す場所などにも自分なりのこだわりがある。

 

ボックスシーツを干す時は、ボックス部分がきちんと広がるようにして干す。

何度か広げるのを忘れて、他の部分はしっかり乾いていたのに、ボックス部分がくしゃくしゃになっていたことがあり、こんな時は心の中で「ちぇ」と思う。

 

今は朝から仕事に行くことがないので、朝洗濯したものをゆっくり干すことができてとても嬉しい。

 

前にYou tubeで「布団を干したいので仕事辞めました」とかいうYou tuberさんがいたんだけど、気持ちとってもわかる。

 

1人暮らしでフルタイムで仕事していたら、なかなか布団干せない。

土日に天気が悪かったらまた次の週まで干せないのだ。

そして、何となく「布団を干せる」って実はとても豊かなことなのだとわかる。

布団が干せる家に住む。布団が干せる場所がある。布団を干せる時間がある。

なんか、豊かだな~と思う。

 

海外では布団を干す習慣はないので、私の中には布団を干す、という事よりも洗濯が大事で、引越しを繰り返してきた私がいつも大事にしてきたことは「洗濯物を干す場所が、良い場所かどうか」だった。

 

洗濯って、殆ど毎日のことで、乾かないことによる弊害はかなりストレスフルだ。

そして、その不満足感は他の家族にはわからない。

1人で抱え込む地味に重たいストレスになる。

 

今、殆ど朝干して、お昼ごろには殆ど乾いている洗濯物。

 

干している時もなんか気持ちがいいし、干したものが風になびいているのを眺めるのも好きだ。

 

おひさまが出ている時は、本当に早く乾く。

おひさまって本当に大切。

 

私の友人のママは、洗濯が好きなので、なんでもどんどん洗濯してしまうそうだが、私はそれとはちょっと違う。

たくさんの洗濯物ではなく、少ない洗濯物をおひさまの当たるベランダに干したいのだ。

 

子どもがいた時の洗濯の多さを懐かしむ人もいるかもしれない。

 

私はそれは全くないかな。

 

今がとても好きだ。

前の生活が嫌だった、というのではない。

それも好きだった。

 

でも今がとても好きだ。

 

東京2020ボランティア。実際のところ。

東京2020のボランティアは、なぜか名前がフィールドキャストという名前を使われていた。

ボランティアという言葉をもっと素敵にしたかったらしいが、ニュースでも選手達からも「ボランティア」だったので、名前を変えた意味はあったのだろうかと思う。

説明会などでも「フィールドキャストの皆さんは・・・」などと説明されていたので、その名前で通るのかと思っていたら、実際オリンピックが始まってみたら、皆が「ボランティアさん」と呼ぶ。

やっぱり結局ボランティアじゃん。

 

しかし、このたかがボランティアさんたちに、東京2020はびっくりするほどのお金を使っている。

最初の説明会の時に渡された冊子というか、もう本に近い「フィールドキャストハンドブック」。

オリンピックの歴史から、ボランティアの役割、障害者への配慮の仕方等々全182ページにわたって前頁カラー写真入りで説明されている。

 

確かこれと一緒に何か他にももらっていたような気がする。

不織布みたいなエコバッグ(当然青色東京2020のロゴ入り)に入っていた。

 

この後も研修の度にスケジュール帳、フィールドキャストポケットガイド(常に持ち歩けるように小さいサイズ)、細か~~~い字でたくさんいろいろ書いてあるアシスタントマニュアル(これは選手村の選手団につく私達アシスタントに配属された人だけらしい)などなど、一人のボランティアに配布されたものは、ユニフォームももちろんの事、本当にたくさんのものがあった。

 

すごいな~、こんなにしっかり準備しているんだな~、さすが日本だな~と思った。

なので、オリンピックが始まるまではとても安心していた。

しかし、実際始まってみるとそうではなかった。

少なくとも、選手村で選手団のアシスタントとして配属された私達は本当に大変だった。

 

例えて言えば、とても立派な家ができているとする。

外観は素晴らしく、中はバリアフリーですよ~、全て携帯で管理できますよ~、中に必要なものは全部そろっていますよ~、でも何かあったらすぐに管理人に問い合わせてくださいね~と言われてその家に入る。

キッチンもリビングも全て家具はそろっている。

しかし、いざ生活しようとすると、「あれ?フォークはどこだ?」「電気をつけるスイッチはどこだ?」「トイレットペーパーはどこだ?」。

全ての扉を一つ一つ開けていかないと、それらは出てこない。

フォークが台所の引出しにないという感じだ。

そして、すぐに管理人さんに電話をしてみる。

・・・つながらない。

なぜなら皆がその人に電話しているからだ。

しょうがないので、その人がいるところに出向く。

しかし、そこにいるのは当の管理人ではなく、やはりボランティアだ。

初めてその場所に配属されたボランティアだ。

何もわからない。

 

しょうがないので、アシスタントに配属されたボランティア同士で、もらった携帯のLINEを使って聞いてみる。

「ね~、だれかフォークがある場所知ってる?」

すると誰かが答えてくれる。

「○○の2番目の引出しだよ~」

 

「ね~、電気つかないんだけど誰に電話すればいいの?」

また誰かが答えてくれる。

「この電話番号だよ~」

 

こんな具合に、たくさんのハンドブックやらマニュアル本などをいただいたが、肝心の事は殆ど書いていなかった。

 

携帯にはLine Worksが入っていたが、これがなかったら私達選手団配属のボランティアはたぶん何もできなかったのではないかと思う。

 

「選手団から要請があったらタクシーを呼んでもかまいません。選手団にはその人数によって各国専用の車が用意されています。ボランティアは運転はできませんが、要請があれば帯同できます」

 

そう書いてあったが、実際には呼ぶタクシー会社は決まっていて、呼び方もちゃんとその方法があったのだ。

ボランティアの誰もタクシー会社の電話番号は教えてもらえていなかった。

 

また、その各国に用意された車の予約もマニュアルにはまるで私たちは何もする必要はなく、ただ要請されれば乗ればいい、くらいだったのに、実際は予約の電話をし、電話がかからないのではるか彼方にあるドライバーさんのいるところまで炎天下歩いていかなければならなかったり、とにかく本当に大変だった。

 

ボランティアの多くは高齢者だったので、どこまでこのLine Worksが活用できたのかはわからない。

 

日本という国は、物事を整えていく力、スムーズに進める工夫をする力はどの国よりもあると思うので、オリンピックがもう少し長ければきっと全てがスムーズに動いたのではないかと思う。

選手村では少なくとも、最初のオリンピックの時はあたふたしたし、選手団からも「日本はきっちりしていると思ったけどそうじゃないんだね。」とも言われた。

私から見ても「ここは日本じゃない」と思われるようなことが多々あった。

 

やっと皆が少し慣れかけた2週間目頃、オリンピックは閉会式を迎えた。

 

私はパラリンピックも参加したので、わかりやすかったが、パラリンピックから参加する人たちもいたし、ボランティアの数は目で見てわかるほど、パラリンピックでは減っていた。

 

そんなあたふたした経験も、皆で情報を交換しあって助け合ったことも、今となってはまるで昔の出来事のように思える。

 

やってよかったか・・・?

 

間違いなく、やってよかった。

 

 

息子スペインより一時帰国。強制隔離について。

12月17日にスペインから息子が一時帰国してくれた。

チケットを買ったのは11月。

この頃はまだ、オミクロン株が悪さをしていなかったので、海外からの入国者は3日間の自宅待機だった。

オリンピックの頃の14日間(だったかな?)の自宅待機以降、この3日間の自宅待機は嬉しいニュースだった。

 

これだったらいいよね、すぐ終わるもんね。

時差ぼけ直している間に待機終了かな~なんて思っていた。

 

ところがその後あっという間に日本は強制隔離措置に入ってしまい、12月から3日から10日の強制隔離となってしまった。

イギリスやフランスが6日間の強制隔離だったのに対し、スペインは3日間だった。

 

17日に帰国して、ホテルに3日。その後この期間を含む14日間の自宅待機となる。

公に外出できるのは1月1日。

ひえ~~~・・・。

 

その上、もし同じフライトに一人でも陽性者が出たら、どんなに遠くに座っていても、今回(12月)からは全員が濃厚接触者になるとのこと。

(以前は前2列後ろ2列が濃厚接触者だったらしい)

それって、こわすぎ。

 

ネットでいろいろ情報を探していたら、You tubeで情報を提供している人を見つけた。

ダイスケさんという人なのだが、殆ど毎日と言っていいほど情報を挙げてくれている。

いい時代だな~~。

本当にこのサイトには助けられた。

詳しくわかった。

私は何かを知りたいとき、かなり深く情報を掘り下げる。

たくさんのデーターが欲しい。

ダイスケさんは他の視聴者さんからの情報もどんどんあげてくれるし、視聴者もどんどん情報を提供するので、本当によくわかった。

全ての人に感謝だ。

 

そこで言われていたのが、「フライトガチャ」。

1人でも陽性者が出れば、自動的に14日間のホテル待機になるからだ。

想像できるだろうか。

14日間、ホテルの一室で一歩も外に出られずに、部屋のドアに届けられるお弁当を朝昼晩と食べ続けるってこと。

想像しただけでも気が狂いそうだ。

 

3日はできるかもしれない。

それ以上は苦しい。

 

フライトガチャという言葉も「苦笑」だが、次は「ホテルガチャ」。

どこのホテルに連れていかれるんだ~~~ってこと。

息子が帰国する前には、福岡のホテルだった人のニュースが出て、ひっくり返りそうになった。

午後4時頃着いて、ホテルチェックイン11時なんて話もざらで、聞くだけで疲れてくる。

海外から飛行機に乗ってくると本当に疲れるのだ。

これだけでも疲れるのに、飛行場から出られず何時間も待たされるとは・・。

 

じゃあ帰ってこなければいい、と短絡的には言えない。

皆それぞれ事情がある。

旅行気分で帰ってくる人ばかりではない。

 

飛行機に乗る人は海外旅行者だけではない。

家族の不幸や、家族の世話のために帰る人もいる。

皆がウキウキして飛行場に向かっているのではない。

 

 

17日、息子は無事日本入国して、無事検査を終え都内のホテルにチェックイン。

とりあえずは、フライトガチャ、ホテルガチャクリア・・・。

しかし、このフライトガチャはこの後も続く。

待機中に誰かが陽性になれば、とたんに濃厚接触者になって、3日目には出ることができなくなるからだ。

その後は自治体の指定する場所へ、とのことでどうやら違う場所に移されるらしい。

 

もちろん、息子本人が3日目に陽性になることだって可能性としてはゼロではない。

 

ホテルには差し入れがOKだったので、息子が欲しいと言ってきたものを持ってホテルまで行った。

果物とかジュースとかカップ麺とか、いつの間にかスーパーの袋いっぱいになっていた。

 

ホテルは隔離者しかはいれないので、全ての入り口に警備の人が立っている。

ホテルの入り口はガラスなのだが、そこから中が見えないようにガラスに何か貼ってある。

入り口に近づくとまず警備の人が来て、「差し入れですか?」と聞かれた。

「そうです」というと、無線機のようなもので中に連絡する。

それから入り口の方に行かせてくれる。

ドアの前には「差し入れ用」と書いた細長いテーブルが用意してある。

すぐに中から人が出てきて、体が出るだけドアが開き、名前と部屋番号を聞かれる。

息子の名前と部屋番号を言うと、体だけ中に入れて名前を確認し、「OKです」。

差し入れの袋を渡し、それでおしまい。

ここまで来てるのになんか寂しい。

でもしょうがない。

息子からの動画が、ホテルの裏側の部屋だな~と思ったので、ホテルの裏側に行ってみる。

その間に息子からメッセージが入って、「受け取った」とのこと。

すぐに渡してくれるんですね~。

ありがとうございます。

 

ホテルの裏側から上を見たけど、ちょうど見えないところの部屋で、息子から私は見えなかった・・・。

 

なんかほんとに「隔離されてる」って感じで、ちょっとウルっとくる。

 

それでも何とか無事3日間を終え自宅へ。

 

息子の場合は私がいるからいいけれど、皆いろんな事情で帰国するのだ。

親の介護のために帰国する人もいるし、悲しい事情の人もいるだろう。

外出するなと言われても買い物に出かけなければならない人もいるだろう。

 

水際対策と言っても、こちらを立てればあちらが立たず、と言った感じで、何をやっても苦情は出る。

全ての人に良い解決策などないのだ。

 

そして、実際どれがいい解決策なのかも誰もわからない。

 

息子は無事14日間の自主待期期間を終え、その後も感染することもなくまた、スペインに帰っていった。

 

いろいろあったし、心配なこともたくさんあったけど、無事帰ることもでき良かったと思っている。

 

誰に対してだかわからないけど、「皆さん、ありがとう」。

 

 

東京2020ボランティア。ドライバーさん。

選手村の入り口前は警備員やらが何人もいる。

彼らとあいさつを交わし、チェックインするために右側の建物の入り口に向かう。

 

しかし、ドライバーさんたちは、どうやらこのチェックインをしていなかったのか、最初の頃、入り口から左の小さな建物に向かう人がいることに気づいた。

 

「あれは何の建物だろう」と思っていた。

ボランティアユニホームを着た人がたくさんいるのだ。

休憩所なのかな?と思っていた。

この頃はまだ選手達も少なく、選手団付きのボランティアは、自分の担当の国以外の国のサポートにまわっていた。

 

のちに、その建物はドライバーさんの待機場所とわかる。

私が担当する選手団が入村して、国ごとに割り当てられる専用の車の手続きをしに、そこへ出向いたからだ。

 

1階のは行ってすぐの左側に簡易な受付があって、右側にはたくさんのお水のペットボトルの箱が積まれていた。

 

チェックインをすますボランティアは、そこで、お水、ウェットシート、塩分補給タブレット(何日かおきに1箱)、食事券などをもらう。

ドライバーさんたちはチェックインをすましていないからか、お水はそこでもらっていたようだ。

 

予約が入っているドライバーさんたちが外で待機している。

外国人は時間通り来ないので、1時間待ちは当たり前。

予約しても来ないこともあるそうだ。

他に、突然入った予約のために、ただただ待っているドライバーさんもいる。

 

しかし、この場所はなぜか明るい。

皆やたらとテンションが上がっている。

選手や選手団が来ると、「イエ~~~~イ」と言って皆で写真を撮る。

 

選手団付きの私達は、研修時から「選手村では写真撮影は禁止」と何回も言われてきた。ましてや無断でブログにあげたりはもっとダメだと言われてきた。

なのにここではなぜか大っぴらに写真撮影が行われていた。

 

私は選手団と一緒に競技場に行くときに、たいていドライバーさんの左の席に座っていたので、いろいろお話しを聞かせてもらった。

 

殆どのドライバーさんたちが「ドライバーは希望していなかった」そうだ。

 

ボランティアに応募したけど、ドライバー希望にはしていなかったが、連絡が来て、「ドライバーでもいいですか?」と聞かれたそうだ。

しかしここで断ると、ボランティアはできないかも、と思い承諾したそうだ。

 

そして、多くのドライバーさんが、地方から来た人だった。

「東京は運転したことがありません」と言うと、「全ての車にナビがついていますので、その通り運転していただけるので大丈夫です」と言われたそうだ。

そりゃ、それを信じるよね。

 

でも、横に乗った私から言わせてもらえば、「非常に怖かった」。

 

慣れない東京、ナビを見ながらの運転、少なからずあるだろうと思われる「選手や選手団団長などを乗せている責任感」。

中には「私、運転好きじゃないんですよ~」と言った人もいた。

 

ナビの目的地は、競技会場しか入っていない。

しかし、競技会場によっては、細かく入り口やパーキング場所が分かれている。

国立競技場などは、国立競技場AとかBとか4つ以上あったような気がする。

そして、ドライバーさんがその差を知っているかというと、知らないのだ。

突如マニュアル本を出してきて探し始める。

しかしそれには載っていない。

 

出発するまでにまず目的地を確定するところから始まる。

 

こちらは、車に乗れば連れて行ってくれると思っていたので、その予定時間で乗車しているのだが、そうはいかない。

1回目に乗った時は、結局団長さんは試合を観ることができなかった。

2回目以降は、迷うことも想定して乗車時間を組むことにした。

 

逆に道を知っている人も結構困る。

ナビを無視して走ってくれるのはいいのだが、東京2020用に駐車スペースや、そこへの入り口が変更されているのだ。

また、車の種類によって、パーキングエリアが変わってくる。

要人用と選手団用は乗降場所が違うのだ。

 

その上どこに行っても何もわからないボランティアしかいないのだ。

誰に何を聞いてもわからない。

 

パーキングの入り口にいる人は、その場所の事しかわからないので、そのパーキングではなかった場合、次のパーキングを探して行ってみて、またそこで聞く、となる。

一種のゲームをしているようだ。

入り口があっていれば入れるが、あってなければまたそこから探し始める。

 

毎回、ちゃんと時間通りに競技会場に着くことができるのかドキドキだった。

着いたら着いたで、今度は目指す競技がどこで行われているのか探さなければならない。

持ち物検査などがあるところでは、そのことしかわからない人達しかいないので、その先の競技会場については、全く知らないのだ。

 

全競技会場にチェックインカウンターがあって、アクレディテーションカード(IDカード)を機械にピッとやらなければならないのだが、ドライバーさんは入れない所が多い。

なので、結局車で待っていてもらわなければならない。

しかし、乗降場所とパーキングエリアが違うところが多い。

帰りに携帯に電話して来てもらおうとしても、なかなか来なかったり、ドライバーさんがまた迷ってしまったりする。

 

ドライバーさんも慣れてくればわかるようになるのだが、なにせ、競技会場がたくさんある。

慣れたころにはオリンピックは終わりとなる。

まあ、これは全てのボランティアに言えることなのだが・・・。

 

競技会場以外に、練習場という場所が競技会場の近くにある。

 

これがナビに乗っていない。

 

水泳で言えば、アクアティクスまで行ってもらい、私たちはその横にある小さな練習用プールまで延々と歩くのだ。

そしてこの場所を知っている人はアクアティクスにいなかった。

本当に、誰に聞いてもわからなかった。

 

どうやってわかったか。

練習に来ている選手にグーグルマップで送ってもらったのだ。

それでも、とても分かりにくく、あの日は本当に暑い中、広い広いアクアティクス会場の周りの道をひたすら歩いた。

 

毎日、わからないことだらけ。

その上、誰に聞いても明確な答えを出してくれない。

 

多くのドライバーさんたちは、小さなメッセージカードや、折鶴や日本のちょっとしたお土産などを持参していた。

そして乗ってくれた選手や団長さんに渡していた。

こういうのは日本人だな~と思う。

 

でもドライバーさんたち、PCR検査あんまりしていなかったみたい。

私たちは、当初3日おきとか言っていたけど、すぐに毎日になって、毎日検体提出していたけど、ドライバーさんたちはあんまりしていなかったみたいだし、選手村の私たちが使っていた食堂も使えなかったみたい。

 

なんだか、待遇が違うな~と感じたのは私だけではないと思う。

 

とても明るくて皆いいひとばかりだったし、車内でいろいろおしゃべりできて楽しかったけれど、東京2020に言いたい。

 

「ドライバーさんはプロの人に頼んだ方がよかったと思います」。

 

大きな事故がなくて本当に良かった。

(無謀な運転とかいろいろあったみたいだけどね)

 

あ、そうそう。

ドライバーさんから聞いた話しだけど、最初の頃「少々のスピード違反や駐車違反は見逃してくれるようになっている」というようなニュアンスのお話しがあったそうです。

でも、途中からあまりにひどいことが度々あったのでそれはなくなったとか・・・。

「見逃すようになってる」ってどんだけすごい力なんだ、東京2020・・・?

 

 

東京2020。選手村での選手団対応ボランティア。携帯電話。

選手村には、各国から参加する国が選手団を作って入村する。

基本、選手以外に選手団団長、副団長、医師など国によって参加する人が違う。

例えば、選手が1人しかいない場合、それにつきそうコーチだけなどというケースもあるかもしれない。

何百人の選手がいる国では、団長、副団長、医師、マッサージ師、それぞれのスポーツのコーチ、など本当に様々な関係者が同伴してくる。

団体競技は選手が多いだけに、関係者も必然的に多くなる。

 

選手村の選手団対応にあたったボランティア達は、活動開始1週間前くらいに、東京2020からメールをもらい、どの国の担当になるか知らされる。

この時点でそれを拒否することは殆ど不可能だったと思う。

しかし、コロナ患者が多く出ている国などにあてられた人たちからは変更希望が出ていたようだ。

 

私はスペイン語が話せることを前面に出していたので、スペイン語を話す国の担当になった。

選手団の団長や役員はすでにほかの国でのオリンピックに参加した経験を持った人もいて、どのように進むのか、どのような手続きをするのか知っている。

 

活動が始まる前に直接選手村に行っての研修があり、村内を案内してもらい、選手村での規則などについて細かく話があった。

バッグは指定のバッグのみで、雨の日の長傘もいけない、折り畳み傘で来てくださいと言われた。

危険物品と思われるものを持ち込んだりできないように、とのことらしい。

しかし実際、1日目からそれは崩れた。

チェックインしている人たちを見たら、ボランティアだけではなく、選手村で仕事をする人たちも同じ場所からチェックインをするのだが、大きなリュック、長い傘、人によってはリュック+手提げかばん。

なんだ、全然大丈夫じゃん。

そもそも不可能、あのバッグ1つで動けって。

特に女性はいろいろ持ちたいので。

 

ユニフォームも上に違うジャンパーを着ている人、靴も違うのを履いている人、それを誰も指摘はしなかった。

いいんじゃん。

よかった。

 

選手団担当ボランティア達は一人一台携帯を渡された。

ラインをインストールできるのだが、すでに各自の名前で登録されていて、1000人以上のグループラインができていた。

グループラインって、こんなすごい人数でもできちゃうのね。

しかし、誰かの書き込みをある一定の人数が閲覧するとキャパオーバーで閲覧できなくなる。

それが300人なのか500人なのかわからないが、最初の頃は閲覧できないものだらけだった。

 

新品の携帯を渡されて、使えるようにするのは結構時間がかかる。

私は何人かのシニアの方達に使い方を教えてあげなければならなかった。

が、その後使えるようになったかは知らない。

 

この携帯は、東京2020が指定したアプリ以外はダウンロードできない。

時たまダウンロードできることがあるのだが、次の日もしくは2日後にはなぜか消滅している。

いくつかやってみたがやっぱり消滅するのでもうあきらめた。

ダウンロードできたのは、PCR検査の登録アプリと入村退村自己申告アプリ。

ヨーロッパはラインはあまり使われていなく、Whatsappというアプリが主流だが、それもダウンロードできなかった。

なので選手団との連絡をとりにくく、多くのボランティアが個人の携帯から彼らとWhatsappで連絡をとっていたようだ。

 

しかしその後、私達はこのラインアプリなくして活動はできなくなる。

 

いやはや、とにかく活動が始まったらわからないことだらけだったのだ。

 

細かく話しているときりがないのだが、一見、準備万端のように思えた選手村だが、活動内容、仕組みなどが全く知らされていなかった私達は、手探りで、それも時間がない選手たちと右往左往しながら短時間で解決しなければならない案件ばかりに立ち向かうことになった。

 

諸々の書類手続き、タクシーの手配、競技場への行き方、各国に割り当てられる車の手配など、本当にわからないことだらけで始まったのだが、これを解決してくれたのが携帯のラインだった。

突然誰かから、「誰か教えて~。これはどうするの?」と質問が出る。

自分には関係のない質問だが、ちゃんとそれを調べて回答してくれる人がいる。

すでにそれはこうやって解決したよ~と教えてくれる人もいる。

 

文章力が強い人も多々いるので、長~~~~い文章で細かく教えてくれる人もいる。

 

本当にこれにはたくさんのボランティア達が助けられたと思う。

 

愚痴や文句も並べられたが、必ずそれを収める人も出てくる。

 

最初の一週間は携帯のラインの音が鳴りっぱなしだった。

が、これも一週間もすると落ち着き始める。

日本人とはすごいもので、ボランティアなのに皆本当に一生懸命取り組み、調べ、選手達のために翻弄するのだ。

中には、「そこまでしなくていいよね」という案件も見受けられたが、それは個人の責任で・・・という感じだ。

 

私はのめりこむタイプではなかったし、一緒に活動していた人たちも同じ捉え方だったので、活動時間もきっちりその時間で対応したが、そうではない人達や、言われるままに外で買い物をしてきてあげたり連れて行ったりなどしていた人たちは多い。

 

思い出の残るラインアプリだが、最後は返却しなければならないのでそれを残すことはできなかった。

 

 

 

 

 

 

断捨離。・・・からの物欲減。

日本に帰国する時にした断捨離後、ものに対する欲が減ったような気がする。

 

もともとそんなにブランドものや高い化粧品などは買っていなかったし、食べるものも「あそこの○○じゃなきゃ!」という事もなかったが、以前よりはるかに買わなくなった。

一時帰国の時には、どうしても日本食を作るために必要な食品などは買いだめして帰っていたのだが、その時も普通のレベルのものを買って帰っていた。

例えば、カレールー。

日本には本当にピンからキリまでのカレールーがある。

昔からあるおなじみのものから、高級感の漂うものまで様々だ。

しかし、私はいつも昔からのおなじみの一番安価なルーを買っていた。

贅沢は言えない。

とりあえず日本のカレールーがあればいいのだ。

 

安くても十分おいしい。

 

殆ど必ず買って帰っていたものは、カレールー、麻婆豆腐の素、ガリ、紅ショウガ、たらこと明太子のスパゲッティの素(素というんだっけ?)、青のり。

息子が小さい時はこれにお菓子やラーメンとかが加わったが、成長と共に少なくなった。

あと何があったかなあ。

日本食は、お醤油、みりんがあればだいたいできてしまうし、中華食材店に行けば結構いろいろそろうのだ。

中国人おそるべし!

 

日本に帰ってきたら、あの頃ちょっと興味があったおいしそうなカレールーとか買ってみようと思っていたが、帰ってきたら全く買わない。

これで十分じゃん、と思ってしまう。

 

私はこれからどれくらい生きられるのかわからないが、少なくとも、これからの人生はゆっくりフェイドアウトしていく人生だ。

 

なるべく物は増やさないようにして、死ぬまでに持ち物を少なくしておきたい。

 

生活するために買わなければならないものはあるが、最低限のもので十分だと思っている。

 

物欲は減ったが、寂しいとか、悲しいとかそんな気持ちは全くない。

むしろせいせいしている。

この気持ちは、若い時にはもちろん持っていなかったし、たぶん想像もできなかっただろう。

家の中を飾るものを買いたいとか、買いたいお皿があったりした。

 

洋服を買うのは好きだが、せっかく断捨離してきたので、なるべく増やさないようにしたい。

10年後には今の半分にできたらな~と思っている。

 

なぜ10年後か。

10年後にはたぶん今持っている服は似合わなくなっているだろうし、活動の仕方も今とはだいぶ違うだろう。

もちろんこれは10年後も私が生きていれば・・・だ。

 

人生何があるかわからない。

 

私が死んだ後になるべく片づけが簡単になっているようにしていきたい。