理想の生活ルーティン
理想の生活ルーティン。
朝目覚まし時計なしで起きる。
大体いつも7時前後に起きているので、その感じ。
パンとコーヒーだけの簡素な朝食を摂り、洗濯物を干したり、軽い掃除をしたりと、まずとりあえずやらなければならないことをする。
この時間がとても幸せ。
お天気のいい日に洗濯物を干している時って、すごく幸せ。
今の時代は洗濯機が洗濯をしてくれるので、やる仕事は干すだけ。
昔の人は手で全部洗っていたわけだから、本当に大変な仕事だっただろうなあ。
それからパソコンを立ち上げてちょっといろいろ見る。
気をつけていないとあっという間に1時間以上経ってしまうので、注意する。
ゆっくりてくてく買い物に行く。
今住んでいるところは、銀杏並木がとてもきれいなので、いちょうの葉っぱの色や落ち加減で季節の移り変わりが感じられてとても好きだ。
ゆっくりいろいろ見て買い物を済ませる。
スーパーが大好きなので、関係のない棚も見て回る。
食品コーナーも日用雑貨コーナーも大好きだ。
「あ、こんなものがあるんだ」とか「今度これ試してみようかな」とか実はあんまりいろいろ買うわけではないけれど、そう考えながら見ているのが楽しい。
買い物が終わったら、またてくてくゆっくり帰る。
簡単なお昼ご飯を用意して、ちょっと休憩したら出かける。
出かけるのは、もし仕事ならあんまり責任の重くない仕事。
一生懸命やらなくても私のまんまで動いてできる仕事。
できれば週3日ぐらいがいいかなあ。
5時過ぎには家に帰っていたい。
夕食の準備をゆっくりしたい。
できれば6時半ごろには夕食にして、食べ終わったら全部片づけて、ゆっくりソファでくつろぎたい。
そしてゆっくりお風呂に入って、寝るモードに入っていく。
11時頃にはベッドに入って、ちょっと本を読んだりYou tube を観たり。
時々一日かけて違う街にも行ってみたい。
泊りがけじゃなくていい。
朝出て夕方帰れるぐらいの場所でいい。
そうね、一週間に一度くらい。
ふらりのんびり、歩いてみたい。
一年に二回くらい、息子に会いにスペインに行きたい。
多分ずっとスペイン・・・かな。
違う土地に住んでいれば、そこに行く。
息子がいる国に行くのはいいけれど、いない国に観光で行く気持ちは全くない。
飛行機はどっちかというと飽きてしまったので、息子に会うために乗るのはいいけれど、それ以外ではできれば乗りたくない。
ビジネスクラスかプレエコぐらいで飛ぶ。
ネットでチケットが買えるようになってから、いろいろな航空会社のページで、一時帰国用のチケットを探していたおかげで、かなり詳しく、そしてそれをするのが楽しかった。
座席の予約も大好きだ。
どこがおすすめかとかも結構わかってきて、この経験は仕事でも使えた。
日本から出張で来る人の帰りのフライトを変更してあげたり、座席を予約してあげたり、アップグレードもしてあげた。
フライト変更も、乗継地の時間や場所なども考慮してなるべく楽に帰れるように配慮した。
いや~あれは楽しかった。
そんな感じで、ゆっくり過ごしたい。
10年後、私はまだ生きていて、今と同じ気持ちでいるのかとても興味がある。
今の気持ち。今の本当の気持ち。
今の気持ちは、わかっているようで実はわかっていないことが多い。
本当に今感じている気持ちがわかるのは、もっと後だ。
何か月後の時もあるし、何年か後のこともある。
あの時楽しかったと思っていたけど、本当はちょっと苦しかったな、とか。
あの時、普通に生活していたつもりだったけど、今考えるとそうでもなかったな、とか。
自分の気持ちを見て見ないふりをする時もあるし、感じないようにスルーしている時もあるような気がする。
私は、自分の気持ちがぶれないように生活している。
大きく上がりもしないけれど、大きく下がりもしない。
そんな感じ。
「やった~!」という感情も特になく、「ああ、もうだめだ・・・」という感情も。
震度計で言えば、針が小さく揺れ進むだけ。
でも、それを保とうとしているということは、もしかしたら私はまだギリギリのところにいるのかもしれない。
私は今落ち着いていると思っているんだけど。
今の気持ちが本当にわかるのは、何年後だろう。
掃除。
火曜日にキッチンと浴室、洗面所、トイレの掃除をすることにしている。
まず、キッチンから。
毎晩だいたいきれいにしてから寝ているので、そんなに汚れていないが、汚れていても汚れていなくてもとりあえずきっちり掃除をする。
それから洗面所、浴室、トイレ。
掃除って、汚れてからやるのではなくて、汚れる前にするのが、一番楽だと思う。
家の中で、掃除をしなくてもいいところはない。
手を抜くと必ずそのつけはまわってくる。
経済的に余裕のある人は、プロのお掃除を半年もしくは1年に一回頼めばいいかもしれないが、私はそういうわけにはいかないので、1週間に1回やって、「大掃除」をしなくていいようにしておきたい。
特に油汚れは、ためるとせっかく頑張ってやっても、なんかきれいにならずに終わって満足感がない。
そんなに汚れていない時に定期的にやっていれば、短時間で達成感が得られる。
金曜日には、ホコリを拭いて床掃除をする。
「掃除が好きか」と言われたら「好きではない」と答えると思う。
誰かがやってくれるのならたぶんやらない。
でも、誰もやってくれないのでしょうがなくてやるのだ。
まじめな私は、地道にコツコツ・・・。
火曜日の掃除が終わると「あ~よかった、終わった」と思う。
そして、日曜日頃になると「あ~また火曜日が来る」と思う。
なのでやっぱり好きじゃないんだと思う。
だから最も短い時間で、最も労力を使わない方法でやる方法を続けているのだと思う。
土曜の朝。好きなこと。
土曜日の朝8時、ゴミやさんのトラックが来る。
ベランダ側のむこうに垣根があって、その向こう側が隣のマンションの通り道なんだけど、そこにゴミやさんのトラックが入ってくる。
どうやらトラックはその下の通りからバックで入ってくるようで、必ず「ピコピコピコン」「ピコピコピコン」と車がバックする時の音を鳴らしながら入ってくる。
私の家からは、垣根があるのでトラックは見えない。
その音とともに、その車のバックするのを誘導する人の声が一緒に聞こえる。
「オーライ!オーライ!オーライ!オーライ!オーライ!」
バックのスピードと道の長さの関係か、殆ど必ず5回オーライを言う。
そして
「はい、オッケー!!」
この「はい、オッケー!!」がなんとも気持ちよい。
声からすると若い人なのだろうか。
張りのある良い声だ。
ここ一角に響き渡る大きな声だ。
「はい、オッケー」の後には、ガラス瓶などがガチャガチャいう音が聞こえてくる。
洗面所にいても、わざわざベランダまで来て、その良い声に聞きほれる。
そして、「はい、オッケー!!」の後には私も
「はい、オッケー、ありがとう~」とつぶやく。
ただそれだけだけど、なんだか嬉しい。
苦手な人。裏表のある人。
人によって態度を変える人がいる。
自分の得になると思われる人にはにこにこして感じがいいのに、そうでないと判断すると冷たく当たる人がいる。
よく、一般的に良い会社、良い学校と言われるところに属している人もしくは属していた人には、丁寧な対応をする人がいる。
人間の価値の優先順位が私の場合、有名大学でも有名企業でもないので、それを知ったところで、私のその人に対する態度は変わらない。
なのでそういう人たちに態度を変えることが、あまり理解できない。
そういう大学や会社に入るのには、さぞかし大変だったでしょうね。
とは思うけれど、そこまでだ。
だからその人の人格が素晴らしいかというと、そうでもないことがある。
もちろんそれで素晴らしい人はたくさんいるけれど。
できれば、会社や大学の名前は知らずにその人と知り合いたい。
私が苦手とする人は、できれば私から遠くにいてほしい。
その人の悪口を言うことも嫌なので、できる限り遠くにいてほしい。
悪口というか、その人の嫌いな点を誰かにしゃべると、余計嫌いになってきてしまう。
そうすると、その人と話しをすることが嫌になるので、できれば何もしゃべりたくない。
遠くにいてほしい、というか私が離れたい。
残り少ない人生。
会いたくない人には、私の大事な時間を費やしたくないような気がする。
心穏やかに暮らしていきたい。
私。まじめ。
基本的に私は真面目だと思う。
小さい頃からたぶん、まじめな方だったと思う。
宿題も先にやってから遊びたかったし、やっていないとなんか罪悪感みたいなものを感じていたし。
もしかしたらそれは刷り込まれたものかもしれないけれど、そうしていて気持ちがいいのだから、たぶん私は基本的には真面目なんだと思う。
地道にコツコツ何かやるのは嫌いではない。
1人で、やりやすい方法とかを見つけて心の中で「よっしゃ~!」みたいに自己満足も多々ある。
だから「あつ森」は私にあっていた。
毎日必ず案内書に顔を出し、300マイルゲットする。
そしてそのあとは、化石を4つ掘りに行く。
鑑定をしてもらい、タヌ吉商店に売りに行く。
(もうコンプリートしてしまったので)
それが終わってまだ時間があったら、島クリを始める。
時間がない時はそこでその日のゲームは終わる。
ゲームをバカにしてはいけない。
本当にすごいクオリティーで、本当によくできている。
感心する。
いまだに毎日感心している。
携帯アプリのゲームも本当にすごい。
息子に教えてもらってはまったゲームは数知れず。
いや本当にすごいんだから。
話しは「まじめ」の話しだった。
30歳くらいまでは、「まじめだね~」と言われるのが嫌だった。
そういわれないような話をしたり、極力まじめな印象を避けようとしていた。
でも30歳を過ぎたあたりから、「まじめの何が悪い」と思うようになった。
「そうよ、私はまじめなのよ」
そう言うようになった。
中学の時に家庭科でスカートを縫っていた時、しつけをきちんとしてから縫おうとしていた私に先生が「あら、きちんとしつけしてるのね。やっぱり性格が出るのね」と言われたことがある。
「え?私ってきちんとしてる性格なのかな?」
と思った。
「じゃ、皆はしつけ、しないで縫い始めてんの?」
と、逆にびっくりした。
言われたことはやらなきゃ、と思っていた私は「言われたことを無視してる他の皆」を「ずる~い!」と思った。
多分、父方の血が真面目な方なので、それが私の性格の基本。
けれど、突然、母方の血が体を駆け巡り、「ま、いっか~」となる。
だから、基本、まじめ。
でも変な所で雑。
ま、いっか~。
これが私。
私。ぶきっちょ。
ぶきっちょだ。
細かいことができない。
例えば、刺繍とか。
母がとても器用な人なので、小さい頃から母が刺繍をするのを見ていた。
私もやってみたくて簡単なのをやらせてもらったことが何回かあるが、最後までできたことがない。
途中で終わってしまうのだ。
それは、思っていたようにうまくできなくて面白くなくなってしまうから。
小学校の時、髪の毛を伸ばしている時期があって、母に朝髪の毛を結んでもらっていた。
今のようにいろいろな結び方などなかったから、いかにも小学生、といった感じの両方に二つ結わくことが多かった。
友達が自分でゴムで結んでいるのを見て、当然自分にもできると思ってうちでやってみたが、全くできない。
あげている腕は痛くなるし、汗びっしょりになる。
その上、上手に結べない。
右と左の結わいている位置が全く違う場所になってしまう。
日本に帰国する前まで髪の毛は長かったので、よくYou tube でお団子の作り方とか、かんざしを使ったやり方とか、アップにする方法とかを何回も見た。
「ぶきっちょさんでも簡単にできる方法!」と書いてあったりする動画も、私にはできなかった。
動画では本当に簡単にできているのに私にはできない。
本当に何回も何回も練習してやっと何とかできるようになるが、なんか今一つきれいではないし、すぐにぼさぼさになってしまう。
若い女の子のほつれ髪はかわいいが、50代の女のほつれ髪は、人生に疲れた女になってしまう。
いろいろゴムとか、小物もそろえて挑戦するがやっぱりできない。
私が小さい時よりも何十倍も何百倍も、かわいいヘアアクセサリーが出ていて、ヘアアレンジが楽しめる時代でいいなあと思うが、残念ながら私には使えないのだ。
ホント、女の子なら大抵できるような事が苦手なのだ。
でも周りの人は必ずこう私に言う。
「すんごい器用そうだよね~」
私ってどういう印象を人に与えているんだか・・・。
不器用そうに見えて器用だった場合、「すごいね~」となるが、その逆だった場合は・・・。
野菜とか細かく切るのも面倒くさい方だ。
ま、これでいいや、となる、すぐに。
もしかしたら生き方も不器用なのかもしれない。
器用に立ち回りができる方では確かにないよね。
でもこれでいいよね。
これから先器用になるとは思えないし、きっと不器用なのが私なんだね。
まあ、うまくできることだってあるから、それはそれでいいんじゃないか?