夫婦別姓について

テレビで夫婦別姓について話していた。

 

日本にはまだ「女性は結婚したら夫の姓に変わる」ということが「あたりまえ」という風潮があるので、特に男性はこれを頑なに嫌がる傾向にあるように思う。

 

そして、それと同時に、男性が女性の姓に変わる場合は、「婿養子」に入る時が多いので、なんとなく「へ~そうなんだ」と思われる傾向もある。

 

これが男性にとってはもしかしたら、男の沽券に関わる、じゃないけど、そんな雰囲気、そんなイメージ・・・?があるのかも。

 

テレビの司会者は(男性)は、「いやいや、俺は絶対に好きな女性は俺の苗字〇〇に入ってほしい!」と断言していた。

 

日本では、昔から、「女性は結婚したら相手の家に入る」という感覚があったと思うので、だからこそ「自分の苗字は捨てて、相手の苗字になる」となっているのかと思う。

 

そして、それは特に「おかしい」と思わずに、私も子供時代を過ごしてきた。

事実、小学校の時に好きな男の子がいた時に、その子の苗字に自分の名前を重ねてみたりしたことがある。

苗字が変わること、イコール幸せな結婚ができること、みたいな感じだろうか。

 

20代頃だったと思うが、テレビで「結婚後仕事を続けていくのに、自分の苗字を使いたい。なぜ苗字を変えなければいけないのか」という話を聞いたときに、結構驚いた記憶がある。

 

「そうか、そうなんだ。それもそうだよね」

 

皆が皆、苗字を変えることに希望を持っていたり、楽しみにしていたりするのではなかったんだ。

 

あれから何十年もたったような気がするが、日本の夫婦別姓案件はあまり進歩していないような気がする。

 

テレビによれば、マイナンバーや運転免許証などは旧制記載が認められるようになったようだが、そしてこれは大変な進歩かもしれないが、なんかお茶を濁されてる感はぬぐえない。

 

夫婦別姓に異論を唱える理由として、テレビでは「子供がかわいそう」と言っていたが、勝手にかわいそがらないでほしいと思う。

皆がそうなれば、それは大したことではなく、子供たちは別に「かわいそう」ではないと思う。

 

「私は、お母さんの苗字なんだ」

「私はお父さんの」

という会話が普通に交わされることになるのだと思う。

 

選べる、変えることができるという土台が、必要なのかもしれない。

 

日本の伝統だったかもしれないし、そういう風習だったかもしれない。

 

でも変えたほうが良いと思う人が増えてきている今、頑なにそこに固執する意味はないような気がする。

 

良い風習だったけれど、良い伝統だったけれど、根底には「男尊女卑」の意識が漂っているような気がする。

 

 

今こそ日本が「住みやすい日本」、そして「日本人に愛される日本」にならなければ。

 

観光客に愛される日本も大事かもしれないけれど、それよりもっと先にやらなければいけないのは、日本国民を大事にしなければ、ということのような気がする。